明るく振舞ったり、気を張ったり、気を使い過ぎたり、自分をよく見せようとしたりすることなく、自然体でいられて、もっと話してみたいなと思う人に出会いました。
その人といる私を、私は好きだと感じました。
例えば、家族といる私は自然体ですが、好きな自分でいられているなどは考えたりしません。その人にはいつのまにか自分の話したいことを話せています。昨日は哲学の勉強を始めたことを話しました。ソクラテスの「無知の知」は、本来「不知の自覚」が正しいのですなどと学んだこと(知ったことを横流ししているだけですが🤭)を嬉しく話していました。楽しいなと思いました。
決して話し上手でなく、気を回せるでなく、こちらのほしい言葉をくれるでなく、正直で素直な人です。
私自身、40歳になり繕っても仕方ないとようやく分かってきて普段の自分でいられるようになってきているのもありますが、こんなに自然でいられるのははじめてです^^
今取り組んでいる大きな絵の女性は、自然体のここちよさに身を委ねているようにみえます。
先日与えていただいた「風の遠鳴り」という言葉を感じているようにもみえます。
わたしは少しの出来事を大きく捉えて感情の広がりに拍車をかけるところがあるので、社会人モードのときはとても注意深く気をつけて行動していますが、たとえば、職務中ではない、でも全くオフでもないような場面や関係性の場合、どのくらいの私でいたらいいのだろうと、出しすぎて伝わらず失敗と感じることが多く、だんだんと社会人モードが常態化していますが、それは傷ついたり失敗しないよう殻を厚くしている状態で、あたりさわりないという必要で大事なモードであるけれど、もう少し内的な開示をして生きていきたいという思いも育ってきています。
のびのびやっていこう。

秋のいろ